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秩父の小さな不動産会社の独り言や言いたい ことなどを書いたきまぐれなブログです。
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昨日の続きになりますが、

自分の我が子や兄弟、親以外にも
惜しみなく愛を与え続けた人

それどころか見ず知らずの全くあかの他人に対して

何の見返りも期待せず愛を惜しみなく与え続けた人・・・

その人は私の尊敬するマザーテレサです

こんなエピソードがあります
マラリアに冒されて道ばたで倒れている見ず知らずの
老人を抱きかかえたマザーにその老人は聞きました

『マザー あなたは見ず知らずの死にかけた老いぼれ老人に
どうしてそんなに優しく抱きしめてくれるのですか?』


するとマザーは言いました

『あなたを愛しているからです』

すごくないですか?

また、マザーテレサは、世界中のジャーナリストから質問を受けましたが
その中に、『あなたが施す人道的支援には、
どんな意味があるのですか?』


『人々に魚を与える代わりに魚の釣り方を教えないのですか?』
という質問がありました。

マザーテレサは、
「私が仕えている人たちは、立つことも、歩くこともできません。
彼らは、病気で、障害をもち、精神的にも病んでいます。

私が彼らに魚を与えて立つことができるようになったら、
あなた方が魚の釣り方を教えてあげてください」
と言いました。

貧しい人たちには、献身的に仕えるだけでは不十分です

いくら施す側の善意が有益なものであっても、
相手に喜びを与えることができなければ、
彼らは、そこから這いあげることも、立ち上がることも、
心を開くこともできないものです。

マザーテレサは、
常に、魚以上のものを与えようと努めた人であります。

そして、魚と同じぐらい重要なのは、
心から施す気持…つまり愛とか喜びであります
愛は見返りを求めては絶対に駄目なんです

ボランティア活動に参加する人たちが、世界中で増えている。

ところが、自分のためにボランティア活動をしている人も、
少なくないのでは・・(ほとんどの人がそうです)

自分を満足させる手段としての、ボランティアがほとんどであります

このような場合、相手のために施すボランティアというより、
ボランティアに参加している自分自身に意味があり、
しいてはそれが、相手のためになるのだから一石二鳥、
との理論であります。

見返りを求めないで奉仕する「ボランティア精神」は、
すばらしいものでありますが

しかし、独りよがりの…相手のために施す気持のない
ボランティアは、「施す」というポーズで取り繕ったところの、
一種の偽善でもあるのですね

みなさんは、どう思われます?
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